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弁護士小室光子の記録です

このブログを始めたのは、2005年3月5日(FC2に移転前)。
ちょうど18年前。18年前に生まれた子が、成人する日。
本日、このブログの更新を終えることにしました。

人、一人、成人するくらいだから、思えば長い年月だね。
他学部卒、司法試験受験生など周囲に一人もおらず、
幼児だった息子と二人暮らしの母子家庭、
ハローワーク経由で職業技術訓練校で簿記を学び、
そのご縁で就職した会計事務所事務員、
税理士の資格を取ろうと思うも法律科目があるため挫折、
いや、法律勉強しないといけないなら、いっそ司法試験にしよう、
私自身、離婚するとき、弁護士に相談するべきと思ったけど、
弁護士なんて敷居が高すぎてこわすぎと思ったよな…
そうか、そしたら私が、当時の私が相談できるような、
敷居の低い弁護士になればいいんだ!!
そう思って始めた司法試験の勉強。

まあ、周囲に司法試験受験生が一人もいなかったことが
むしろ幸いしたんだろうね。
伊藤塾の在宅コースで、文字通り、一人で勉強を始め、
そりゃ、理想通りに「2年で合格!」などするわけはなく、
勉強的孤独に耐えられなくなって始めたのがこのブログ。

元々私は、日記を書く習慣があり、勉強記録も手書きで書いていたりしたので、
それを、当時まだ新しかった(?)ブログという手段で記録することにした。
もしかして、同じような境遇の人とつながれるかも?
という期待もあったのかな。記憶もあいまいだが。

このブログを始めた平成17年、初めて旧司法試験の択一試験に合格できた。
ま、全部ここに書いているとおりだから、今更振り返らないけれど、
平成19年、中央大学法科大学院に入学、卒業した平成21年、司法試験に合格した。

何度も書いているけれど、私は、このブログを始めなかったら、
法科大学院に入学するという選択もしていないと思うし、
法科大学院に入学しなかったら、司法試験に合格することもなかったと思う。
思い切って始めてよかった。

そして、弁護士になってからも、色々と選択を迫られる場面はあり、
都度、悩みもしてきたし、今も迷うこともたくさんある。
けれど、このブログは、私を初心に戻してくれる。
だから、もう更新はしないけれど、このまま残しておく。

ここを見てくれたみなさん、本当にありがとう。
同じ受験生だった人たちが、法曹界で活躍していることを、
弁護士になってから、何度も知りました。
「ブログ見てました!」と言っていただいたこと、1度や2度ではありません。

また、弁護士になった後、弁護士としての私にご依頼、ご相談いただいた方からも、
「ブログ見ました」と、ご共感いただいたことも何度もあります。

私は、ここに書いていること、今、何も検証しないけど、
何一つ嘘は書いていないし、誰に見られても問題ない(恥ずかしい、はともかく)。

私はこの先の人生も、おおむね、思い通りになると信じて生きていく。
50歳のときに生まれて初めてやってみたスキーも、
当時、途方もなく絶対無理(しかし、いつか滑れるようになりたい!)
と思ったコースを、難なく降りられるようになったしね(笑)

自分の限界を決めるのは、自分でしかない。
自分ができると想像できることは、必ず実現できる。
これからも頑張ります。


2023.03.05 / Top↑
シーナ&ロケッツの鮎川誠さんが亡くなったとのこと、
心から哀悼の意を表します。

中学生のときだったか、「You may doream」を、
FMラジオで聴いて大好きになり、カセットテープに録音した。
高校生になって、レンタルレコード屋さんでアルバムを借りて、
カセットテープに録音して何度も聴いた。

夫婦でロックしているその生き方も大好きだった。
2023.01.30 / Top↑
令和4年も、おかげさまで無事に終えることができそうです。
ありがとうございました。

来たるべき年、まずは何より、
一刻も早く戦争が終わることを祈ります。

個人的には、初心を忘れず、丁寧に仕事をしていきたいと思います。
令和5年もどうぞよろしくお願いいたします。
2022.12.31 / Top↑
先日、高校生のときの友人らと女子会をしました!
みんな55歳。知り合った頃の年齢の3倍だもんね…

人生いろいろだけど、同じだけの時間が流れている、
同期の安心感みたいなものを感じました。
2022.11.21 / Top↑
沖縄いつもの家族ごはん

えりりんこと田中えりさんが書いた本です!
(リンク先を見てね。できれば買ってね。)
昨日,「第一回」出版記念パーティーに行ってきました。
2022.10.23 / Top↑
今月、司法試験の合格発表があり、
データを見る限り、「法科大学院の存在意義」
を問われるのもわからなくもないな、と思った。

しかし、私は、このブログを始めた2005年当時、
法科大学院は憧れの存在だったし、
実際に入学して、自分と同い年の先生(入学当時39歳)や、
年上やかなり年下の「同級生」仲間ができて、本当に良かった。

弁護士になって、もう10年以上になるけれど、
いまだにその同窓生らとは交流があり、
それぞれが、それぞれの場所で活躍しているのを見聞すると、
とにかく、うれしく思う。単純に、うれしい。

司法試験に合格するため、
という視点だけで言ったら、法科大学院ルートは、
少なくとも、最短ではないでしょう。
予備試験にとっとと受かって、翌年の司法試験に受かればよい。
現に、18歳で司法試験に受かる人もいるわけだし。

だけど、なんていうかなあ、高速道路走れば早いけど、
ま、そんな急ぐ必要もないし、下道行って、色んな景色を見ることも、
弁護士になった後の長い人生考えたら、むしろプラスかも?と思う。
2022.09.26 / Top↑
8月31日ということで、この夏の思い出?記念?と言えば。
お盆休みに、自分の車で、自分で運転して、北海道に行きました!

東京都青梅市からの出発。
初日は盛岡まで移動し、盛岡のホテルに泊まって、
翌日、青函フェリーで函館に移動。
(恥ずかしながら青函トンネルは車も通れるのかと思ってました…。
青函トンネルは新幹線だけなんですね。)

道内では、室蘭とか札幌とかを経由し、
帰りは苫小牧からサンフラワーで茨城県の大洗港というショートカットですが(笑)
長距離のフェリーに乗ったのも生まれて初めてのことで、色々新鮮だった。
船内の売店付近の階段で、5歳くらいの女の子と会話したこととか。

北海道へは、飛行機(+レンタカー等)では何度も行ったことがあるのだけど、
一度、自分の車で、運転して移動したいとずっと思ってたんだ、この数年。
実現できて、楽しかった。

こんなことも、弁護士にならなかったら、いろんな意味で、お盆休みだからといっても
やらなかった(できなかった)ことかなあと思うので、本当に弁護士という仕事は、
私にとっては天職なのだと思う。

2022.08.31 / Top↑
早稲田大学名誉教授の内山美樹子先生が3日に亡くなった。
内山先生は、私が早稲田大学第二文学部演劇専修に在籍していたときに
学部でも教鞭を取られていて、たくさんお世話になった。

大学2年生の時,演劇演習という授業だったと思うが,
近松門左衛門の作品について学ぶ機会があった。
私は,近松の心中物が好きだったの。

内山先生の授業のレポートで,何かの作品の一部につき私が書いた解釈を,
先生は,ご自身の論文(文献)の中の注釈で,引用してくださったことがあった。
(先生の解釈とは少し違った解釈だった。)

すごく驚いたんだ。
当時,私から見たら,大学の専門分野の先生なんて、ほんと
恐れ多いというか,雲の上の存在。
そういう立場にいらっしゃる先生が,「たかが」学部の学生が書いた,
いわば授業の単位取得のためのレポートに書いてあったことにつき,
きちんと読んでくださって,一目置いてくださったこと。
今思い出しても,謙虚に研究されていたのだなあと思う。

その後の卒論の指導を内山先生にお願いし,
近松の「堀川波鼓」を題材にした。先生は私の拙い卒論を高く評価してくださり,
「大学院には進まないのですか?」と面接の時にお声がけいただいた。

当時,私は,高校生の頃の夢だった女優という道を断念し,
「普通に就職して,普通に結婚する」「大学卒業は普通の人生に戻る最後のチャンス」
などと勘違いしており(笑),「普通に」就職する道を選んだ。
就職した先は,9か月で辞めたけどね。

内山先生は,昭和14年生まれ。
女性で,高校に進学し,まして大学まで行って研究者になるとか,
並大抵のことではなかったと思う。
女の幸せは結婚して家に入る,結婚次第で幸せが決まる、
が当たり前,みたいな時代。

内山先生の、女性としての生き方については,直接伺ったことは
ほとんどないけれど,いつも凛として教壇に立っておられた,
あのお姿を忘れない。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。


2022.08.07 / Top↑
今日、55歳になったよ。
女性の定年が55歳だった時代ってあったよね。
そう思うと、それなりの年齢なんだなあと思う。

おかげさまで持病もなく、元気に好きな仕事を続けられていること、
とても幸せに思う。いつも応援していただいて、ありがとうございます。
弁護士という仕事を、働ける限り、続けていきたいです。
これからもよろしくお願いいたします。
2022.07.24 / Top↑
司法試験,予備試験,司法修習のときの起案,
司法修習の卒業試験にあたるいわゆる二回試験,
すべて,論文試験は手書きです。
私が最後に受けた二回試験に関しては,
丸5日連続,朝から夕方まで,ひたすら手書きで。
(当時,このブログに書いているとおり)

司法試験(予備試験は私は受けていないけど,予備試験も)
短答式試験はマークシートだけど,
論文試験については,すべて手書き。

合格して,弁護士になった後,訴状や準備書面を
今時,手書きなどするはずはなく,試験や修習の間のみ,
手書きを強いられることにつき,果たしてどれだけの合理性があるのか??
昔は,確かに,訴状や準備書面,判決文も手書きという時代があり,
その当時に,その業界を目指す人たちの資格試験が同様の形式というのは,
それなりの合理性があったと思う。しかし今…

当然,そう思ってきたけれど,受験生や修習生という立場では,
とりあえず,自分が合格することが先決問題で,問題提起とかする余裕はなかった。
(おかしいよね?と思う余裕すらなかったかも…)

今年,ついに,そこに当事者として問題提起する人(修習生)が現れたんだよね。
司法修習において,手書き答案を強いられたとして国を訴えた人。
どういう判断になるのか,とても興味深い。

「おかしいよね?」と思うことに,おかしいでしょ,と言う勇気。
そういう気概を持って生きていきたい。
2022.06.26 / Top↑