思い出のガラスケース
私は定期的に,母の通院に付き添っているのだけど,
今日はその付添いの日で,診察が終わった後,久しぶりに実家に行った。 実家は,私が3歳のときから小鳥屋さんをやっていて, 亡くなった父が特老に入った後は, 母が衣料品や雑貨(兄が経営してる会社の商品)を売る店をしてた。 けど,母も肺癌治療の予後経過観察中である他, 原因不明の病気も抱えていて,数ヶ月前にとうとう商売をやめることになった。 それで,店だったスペースも居住用に改装したので見に行ったわけ。 母は,究極の合理主義というか,現実主義というか, 昔から何でも(私が大切にしていた物であっても)どんどん勝手に捨てるし, 誤解を恐れずに言えば,冷たい部分の目立つ人だと思う。 けど,たぶん生涯暮らすであろう今日の部屋に, およそ似つかわしくないガラスケースが1つ置いてあって, 他愛のない物をあれこれ飾ってあった。 「ガラスケース1個だけ置いといたよ。 おじいちゃん(父のこと)と商売始めるときに合羽橋で買ったんだっけ」 (やや茨城弁かな。「置いといた」は「残しておいた」「とっておいた」の意味, ~だっけ,というのは,懐かしむニュアンス。) ああ,そうか。これは小鳥屋だったときから使ってたやつなんだ。 って思ったら,幼い頃の色んな事をたくさん思い出して寂しくなったよ。 あの場所は確かに私が幼少期を過ごした所なんだけど,私, 「実家」っていう言い方に違和感があるし, 実家というか,母が住んでいる家へはいつも「行く」って表現してしまう。 実家なら「帰る」って言うのが一般的なのだろうけど,私にとっては, あの場所は,帰るところではないんだよね。 離婚したときに「みっともないから帰ってくんな」と言われて, 帰る場所ではなくなったんだと思う。 当時のことは,今でも思い出せばすぐに泣けるくらい悲しいけど, もちろん,誰のことも恨んでもいないし,憎んでもいない。 きれいになった部屋を喜んでいる母を見て,よかったね♪と思ったよ。 |
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