ヘイトスピーチ(差別的言論)について。
2014/03/14(Fri)
人は生まれたときには,他者との比較というレベルにおいて,
ゼロ
だと思う。同じ「人」として,自分の上も下もない。

そうであるにもかかわらず,
例えば性別,例えば人種や出身国,例えば心身の障害,
例えば学歴,例えば職業,

色んなことにおいて自己と他者の違いを見出し,
その人の判断において「自分より劣っている」と思ったときに
その対象に対して見下す表現や対応をするのはなぜなんだろう。
そういうことを,自分の中にも,「差別意識」があるんだと実感した,
高校1年生のときから考え続けている。
(当時の英語教師が,何でもない英語の授業の中で,そのことに
気づかせてくれた。)

結局人は,誰かとの比較において,(自分が優位にあると確認することにより)
自分の存在を確認したいんだろうね。「自意識」というやつ。

自分の存在意義を確認すること自体は,悪いことだとは思わない。
だって,自分なんかいなくても社会はもちろん,誰ひとりとして困らないし,
悲しむ人すらいないって思ったら,生きていられないから。

だけど,自分以外の他者を攻撃することによって,
自分の存在意義を確認するのだとしたら,それは,間違っている。
絶対に,間違っている。

他者を否定することは,結局のところ,自分の存在を否定すること。
否定の対象である他者を認識しているのは自分であって,
自分が認識した他者を否定することを通じて,究極,自分を否定しているんだよ。

そのことに,気付いてほしい。

それと同時に,(悪意はなくとも)差別意識を,ゼロの子どもに押し付けないでほしい。




子どものころ,実家の数軒となりに,「チョーセンジン」が住んでいた。
私は意味が全くわからなかったけれど,大人になってそれが「朝鮮人」だとわかった。
明らかに,その数軒となりの家を差別するような発言を,大人たちから聞いていたから,
子どもだった私も,そのお宅に対して,マイナスイメージを持っていた。
もちろん,理由もなく。
今,心底,恥ずかしいことだと思うし,たしかそのお宅には私より少し上の年代の
子どももいたし,当時どんな気持ちでそこに暮らしていたかと思うと,苦しくなる。

幸いにして,私はそのイメージを矯正することができた(と思っている)。
できないまま大人になり,次世代に,何の疑問も持たず,
(そして何の悪意もなく)イメージを押し付ける人もきっといるのだろうと思う。

大人たちこそ,当たり前だと思っている価値観を,今一度疑うことも必要だと思う。
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コメント
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2014/03/16 13:38  | | #[ 編集] ▲ top
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秘密コメントくださった方,ありがとうございます。
メールさせて頂きましたので,ご確認ください。
2014/03/16 23:22  | URL | mico #-[ 編集] ▲ top
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2014/03/23 23:48  | | #[ 編集] ▲ top
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