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弁護士小室光子の記録です

なんていうタイトルを見たら、
ぎょっとするよね。

でもこのタイトルは、私が中学1年生のとき
「弁論大会」に向けて書いた文章のタイトル。

自分で決めて、自由に何でも書いていい、
ということだった。

これを書いたのは、(前にも書いたことがあるけど)
ちょうど仲良しグループから完全に無視されてた時だった。

書き出しは、確かこう。
「人は何のために生きるのか、
そう考えたことはありませんか。
毎日がつらい、もう生きていたくない、そう思いながら、
どうして生きていかなければならないのだろう、
そう思ったことはありませんか。」

クラスの代表に選ばれて、体育館で舞台の上で弁論した。
そのとき、私を仲間はずれにしていた中心の女の子が、
いちいち
「そう考えたことはありませんか」→「ねーよ」
「もう生きていたくない、そう思いながら」→「死ね!」
と大声で反論していた。

先生は見かねて、制止してくれたけどね。

今はもう、笑い話にできるし
(だって笑えるでしょ。ちゃんと弁論大会に出席して、
一応話を聞いているからこそ、野次れるんだもんね・・・)
思い出すこともほとんどない。
(最近のいじめ自殺のニュースで思い出しただけ)
けど、当時の私は、死ぬほど苦しかったような気がする。

ちなみにこの弁論の結論は、
「生きている意味は死ぬまでわからない。
だから私は、そのときまで自分を見失わず、
自分が生まれ、生きている意味がわかるために生きていく」
みたいなことだったと記憶している。

今、苦しい子どもたちがここを見ることはないかもしれないけど
やっぱり言いたい。

どんな苦しいことでも、生きている限り、必ず過去になる。
そして過去になったときには、新しい暮らしがそこにあって、
また別の苦しみがあるかもしれないけど、それでも絶対、
「苦しいことだけ」で一生が終わるなんてことはない。

頑張るのに疲れたのなら、もう頑張らなくていい。
頑張らなくたって、生きていけるんだよ。
頑張らないことは必ずしも悪いことじゃないよ。

逃げたっていいんだよ。
逃げないといけないときだってあるでしょ。


人は何のために生きるのか、
最初に自ら問いかけてから、もう25年以上になるのか・・・。
残念ながら、40歳近くになった今でもわからない。

やっぱり、死ぬときまで(死んでからも?)、
自分が生まれ、生きた意味など、わからないんだろうな。


2006.11.12 / Top↑
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