茨城県牛久市の弁護士小室光子の記録です
年賀状、もらうとやっぱり嬉しいものだよね。
色々個性が出るのも面白いし。

毎年、年賀状といえば思い出すことがある。

例えば小学生のときに書いた芋版の年賀状。
(今は子どもたちの間でも、全く見ないけど・・・)

例えば好きな男の子に書いた年賀状。
(小学6年のときに好きだった男の子は、
中学が別になることがわかっていて、
哀しいような複雑な気持ちをこめて書いたっけ)

色々あるけど、とりわけ、忘れられない年賀状がある。


それは小学5年生のときの年賀状。

低学年の頃は、何となく、クラスの女の子には
全員に書いたりしていたけど、5年生ともなると
親しい(グループの)女の子にしか書かなくなってた。

でもその年は、仲良しグループではなかったけど、
低学年の頃よく「おままごと」をして遊んだ、
という女の子と再び仲良くなりかけてて、年賀状を書いた。

彼女からも、数年ぶりに年賀状が来た。

その年賀状には、住所は書いてあったけれど、
名前が書かれていなかった。

その年の春、私たちは6年生になった。
流れのままに仲良くなってきて、あるとき彼女と私は
「今度の日曜日にリリカ(地元にあったサンリオショップ)
いっしょに行こう!」と約束した。

この頃、サンリオのお店にいっしょに行くというのは、
仲良しの証拠みたいな感じだったんだ。
彼女とリリカに行くことを、とっても嬉しく楽しみに思った。


ところがその日曜日を待たずに、彼女は亡くなった。事故死。


後からわかったことだけど、その年の年賀状、
私のところに来たものだけではなく、
他の友人たちのところに宛てたものにも、
彼女は一切名前を書いていなかった。

まるで、
自分が消えてしまうことを予言するかのように。


彼女が亡くなった現場には、
少女を象ったお地蔵さんが建てられている。
そこを通るたび、私は手を合わせる。

生きていたら、優しい素敵なお母さんになっていただろうな、
ううん、もうとっくにどこかで生まれ変わっているよね、
などと思いながら。
 コメント
この記事へのコメント
 何か考えさせられるお話ですね。

 私の廻りには、無くなった親しい友人はまだ、いないのでこれからそのようなことも有るかなって思います。

 叔母が、32歳で白血病で亡くなったのを思い出しました。当時幼い従兄弟を2人残して死んで行きました。どのように悲しい気持ちだったのだろう。

 その時に、叔母の分まで精一杯生きようと思ったのですが。それに恥ずかしくない人生を送っているのだろうか。と自問しております。
2007/01/06(土) 01:04 | URL | DAKARA #ejL58bjI[ 編集]
DAKARAさん、コメントありがとうございます。
私の通った小中学校ではなぜか子どもの「死」が度々ありました。いずれも事故か病気によるものです。
そういうものだと(誰でも小中学校くらいの間に何度かは同じ学校に通う子の死を経験するものだと)思っていたので、それが普通はあまりないことだと大学生くらいになって認識したときには、驚きました。
自分の周りにいくつかあった同級生や近い年代だった子どもの死は、何だったんだろう、どうして私(だけではないですが)の周りでよくそういうことがあったのだろうと何度も考えてきましたが、よくわかりません。
叔母さま、若くして子どもを残して逝くというのは、さぞ心残りだったでしょうね・・・。寿命といってしまえばそれまでなのかもしれませんが、そういう色々を考えるにつけ、今生きている自分は「生かされている」のだなあとつくづく思います。
2007/01/06(土) 22:55 | URL | mico #-[ 編集]
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