茨城県牛久市の弁護士小室光子の記録です
今日の法曹倫理の授業は,刑事弁護関係。
それの課題に,ずっと否認してきた被告人が,
「実は自分がやったのだけれども,証拠もあまりないし,否認で通したい」
と告白してきた場合,弁護人としてはどうするか,っていう話があった。

今日の先生は,前期のクラスコンパに来て下さった。
で,書いたかもしれないけど,私,まさにこの話を,
そのコンパの席で先生にぶつけたんだよね。
先生が何かの雑誌に,
「当然,無罪の弁護で通すべきである」という趣旨のことを
書かれていたのを読んだので。

本当は,私はそんなことは(人として)できない,と思っているけれど,
もし,万が一,そういうケースに出逢ったら,職業として割り切るしかない,
ということは,一応今は,納得している。

ま,あくまで超レアケースで,刑事弁護をしている弁護士でも
一生のうちに出逢うことはほとんどないのだろうとは思うけど・・・。



【2007/12/11 22:59】 | 法科大学院
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NoTitle
論文初受験
自分は当然無罪主張でよいと思いますよ。
人の言う事ほど信用できないものはないから,有罪を示す客観的な証拠がない以上,被告人が認めていたって本当はやってない可能性はあるわけで,このケースなら弁護人は無罪主張すべきと思います。
逆に,客観的証拠からは明らかに罪を犯しているのに,被告人が不合理な否認をしている場合。現実には結構あるケースでしょうが,自分が弁護人になったとして苦しいのはこっちのケースかなと思います。

自分は,二回試験も終わり,昨日までエジプトに行ってきました。
二回試験発表後はタイに行く予定です。落ちてても。

頭おかしいんじゃないの?
通りすがり
人を殺意をもって殺めていた真実の告白があったとき、罪を償うのが人の道ではないでしゅうか?
どんな高尚なお勉強をしているか知りませんが、そんなろくでもないことを勉強しているから、山口光母子殺害事件での無罪主張などをしているわけです。自白している犯人を、無罪でかばう奴がいるから、ずる賢い奴(ヤクザも含めて)がのさばる。常識ない弁護士など、いない方が世のためです。勉強出来ても、人間として最低のランクでしょう。そんな弁護士はいらない!無駄だ!

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うちでもやりました
さ。
難しいですよね。
弁護人の仕事は一人の無辜も罰しない事にあるけれど、通りすがりさんのように一般の人や被害者の感情も考慮しなければならないし。
無実と無罪は別の事ですし、積極的に嘘をつかなければ無罪主張のままでも良いかと思います。
山口の件は、その無罪立証の仕方が反倫理的であるという事で、別次元の問題ですよね。
アメリカの判例の、凶悪犯の逃走方法を警察に教えることの是非とか、証拠隠避の是非も、とても頭が痛い問題棚、と思いました。

NoTitle
論文初受験
上の方も書かれているように,山口の件は無罪主張が問題なのではなくて,そのやり方が問題なのではないでしょうか。
無罪主張が問題なんて言い出すのなら,刑事裁判の存在する意味って何なんでしょう。弁護人の役割って何なんでしょうか。

それと,問題にされたケースは,告白が「真実である」という前提はないですよね。
やはり,弁護人になったのならば無罪主張しかとるべき行動はないと思います。
一般の方が,通りすがりさんのように考えるのは,理解できなくはないですけどね。

NoTitle
mico
論文初受験さん,コメントありがとうございます。
二回試験終了,お疲れ様でした(まず大丈夫だろうと勝手に想像しています^^)。
授業で問題となった事例は,かなり抽象化された話で,当然,
「告白が真実である」という前提はない話です。
この場合,やはり無罪の弁護をするべきなのだと,私も思います。
本当に何が真実なのかは,神のみぞ知るわけですし。
客観的証拠から有罪が明らかなのに,不合理な否認をしている場合・・・・
難しいですね・・・。


通りすがりさん,コメントありがとうございます。
私は,人を殺した人には,生きる権利はないと思っています。
他者の人権を奪ったのと同じ限度で,その人は自分の人権も放棄しているといえるからです。
ただ,それを正確に判断できるのは,(存否はともかく)神のみです。
刑事裁判は,所詮,人が人を判断するのですから,限界があると思います。


秘密コメントくださった方,ありがとうございます。
職業として割り切るほかに,どうすればいいのでしょうか。
罪悪感は残って当然だと思います(仮に,その人がやったということが本当だとしたら^^;)。
私はそれも含めて,墓場まで持って行きたいと思います。


さ。さん,コメントありがとうございます。
そうですよね。弁護人には積極的真実義務はないですし,
一方で,犯人隠避や証拠隠滅に問われかねないことはできないし・・・。
弁護士としての職業倫理と,自分の,人間としての倫理観とが
一致すればラクなのでしょうが,中々そうもいきませんね。


誰でもやればいい
通りすがり
弁護士とやらは、一体何を守っているのでしょう。
自由やら、人権やら、正義やら、能書きたれてますが、
所詮は、殺人犯を世に生きながらえさせる存在になりません。
真実は、誰もわからない?
そうでしょうか?

少なくとも、人を殺した本人は知ってます。
誰かをかばっているかもしれない?
そうかもしれないでしょう。
でも、真実を本人は知っているはずです。

真実を知る、探る気持ちなくして、何が正義でしょうか?
単なる利益代理人だったら、誰でも弁護士になればいい。

机上の屁理屈をこねているから、
わけのわからない弁護士が出てくる。
いったい何を守っているのだろう?
職業倫理なんて屁理屈の前に、
人間としての信念を見せてほしい。

ないなら、誰でも弁護したらいい。
所詮たいした倫理感なんてないんだから。

NoTitle
通りすがり2
通りすがりさんは、micoさんがおっしゃってる場面を理解してらっしゃらないように思います。

当初から「俺がやったんだけど、証拠がないから否認したい」という場面ではないんですよ。
この場合、依頼を受けなければいいだけです。

そうではなくて、本当にやってないと思って依頼を受けたら、
途中で「実はやった。でも、証拠がないから否認でいきたい」と言われた場面です。
だからこそ、micoさんはじめ、みなさんが難しい問題だとおっしゃっているのです。

また、上の事案からは、どんな事件なのか明らかになっていません。
殺人事件とは限りませんよ。




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議論になってしまってすいません
さ。
弁護人は、犯罪者を守るためにいるのではなくて、被疑者・被告人を守るためにいます。
判決が確定するまでは、誰もその人のことを「犯人だ」とはいえません。
また、無実でなくとも無罪の人もいます。
例えば、暴漢に襲われ、とっさに突き飛ばしたところ相手が倒れて死亡した場合、正当防衛として無罪になりますが、有実(こんな用語はないですけど)になります。
「自分はやった」
と被告人が言った場合、それがどのような状況で、どのような意味でやったというのかも明らかにならぬまま、弁護を打ち切ることが本当に社会のためでしょうか。
誰も自分の話をきちんと聞いてくれぬまま、有罪になって、日本ではほとんど死刑はないですから、いずれ社会に出てきて、被告人はその後の社会生活を営めるでしょうか。
(被告人が幸せになるという意味ではなく、周囲の迷惑にならないように、再犯をしないように、という意味です。)

小学生の男の子のたけるくんがが別の男の子のゆうじくんを殴ったとします。
たけるくんははじめ「ぼくはやっていない」と言います。
しかし最終的に「ぼくがなぐった」と認めました。
しかしそれはゆうじくんが、ようこさんにとても酷い悪口を言ったからだったのです。
先生に殴った顛末について聞かれれば、ようこさんの悪口の件まで到達するかもしれない。そうしたらようこさんの悪口を先生にも、それを聞いているクラスのみんなにも広めてしまうことになる。だから彼は黙っていたのです。

人が真実を黙っている時、それが常に悪いことを企んでいるからだと考えるのなら、そのほうがずっと人としての倫理に外れているように思います。

もちろん、悪いことを企んでいるのではないかと考えて追求する立場の人間も必要です。殴られたゆうじくんのお母さんにきちんと説明する人も必要です。
でもそれは弁護人ではなく、検察官であるというのが日本の法制度です。
弁護人は、本当にたけるくんは殴っていないのではないか、殴ったとしてものっぴきならない理由があったのではないかという事を常に考える事が仕事だと思うのです。

NoTitle
mico
通りすがりさん,その通りですね。
もちろん,やった本人は,誰よりも神よりもよくわかっているはずです。
そんなことを問題にしているのではありません。
弁護士にも色んな人がいますから,わかりませんが,
少なくとも私は,「殺人犯を世に生きながらえさせる存在」にはなりません。


通りすがり2さん,ありがとうございます。
私が抽象的に書きすぎたため,誤解を招いてしまったのかもしれません。
法曹倫理の授業でやるのは,やはり限界事例が多いですから,
考え始めると,本当に難しいです。


秘密コメント下さった方,ありがとうございます。
私は,「言わない」と決めたことを言わないでいることには,
少々の自信があります。
いざ死が近いとわかったときにどう感じるかは,死ぬかも,と思ったことが
あんまりないので(色んな意味で,全くないわけではないです)
わかりませんが^^;
裁判員制度は,私も未だに,「本当にやるの??」という感を否めません。


NoTitle
mico
さ。さん,お気遣いいただいて,ありがとうございます。
例示,とてもわかりやすかったです。
私は30歳過ぎてから刑法を初めて勉強したので,
「一般国民」「通常の常識人」の感覚もよくわかります。
(刑法・刑訴法的な見方が当たり前になって,やや忘れている部分もありますが)
素朴な正義感と,制度的に守るべき正義は何なのかは,
必ずしも一致しませんから,難しいですね・・・。



到底理解できない存在
通りすがり
物事の本質は、限界事例を考える中から、見えてくることはよくあります。
そして、事例を限界事例において、どこまで一般化できるかを考えるからこそ、
意味のあることだと思います。
それは、受任しなければいいとか、小学生の事例とかの、
たわいない話であれば、笑って話すことも可能でしょう。
それが、いわゆる机上の空論だからです。

現実は、生々しくおきてます。そして、人は醜いです。
そんな世間の常識に欠ける人間によって、法律を使われる、世間が歪んでいくのです。

例えば、このことは、殺人犯で鮮明化します。
罪を犯したが、証拠がないから、無罪主張をする被告人を、
あなたは、守秘義務と受任精神から、無罪主張で弁護して、無罪となることに、
職業的倫理感を見出せますか?そんなことをしたいのですか?

私の答えは、NO!です。

そのような凶悪誹謗な事件でない限り、
責任は不明であり、司法の判断を待つべきであることは小学生でも理解できます。
しかし、単純殺人は別です。ましてや、受任後であっても、真実が分かっているのに、それでもかばう必要性は、一般人には理解できません。
当然、罪を認めて減刑を求めるのは理解できます。
証拠がないから、生きながらえたい、人の命を奪っておきながら、
自分の命がほしいなんて、都合のいい話に加担する弁護士なんて
無用な生き物です。
法曹界では有用かもしれませんが、
一般人には、到底理解できない存在であり、
一般人に説明できないものは、
無用なのです。

NoTitle
通りすがり三号
人の家の庭先で言い争いをするようなことは、もうやめた方がいいのでは?
すでに指摘されているとおり、ケースの前提として、告白が真実かどうかは不明なんですよね。それなのに通りすがりさんはあくまでそこを無視して、告白が真実であることを前提の議論を繰り返してますね。
噛み合わないやりとりしても仕方ないですよ。

NoTitle
mico
通りすがりさん,
限界事例から本質が見えることがあること,わかります。
人が所詮,醜い存在であることも,知っています。
ただ,刑事弁護人は,犯罪者を「かばっている」のではありません。
そのように見えてしまうのは(私もそう見ていましたから)仕方ないことだと思いますが。
でも私は,この点につき,あなたを説得できるだけの経験も論理も持っていないのです,たぶん。
そこは,法曹を目指す者として,謝ります。ごめんなさい。


通りすがり三号さん,ありがとうございます。
正直言って,私は,顔の見えないところで議論することは好みませんので,
(面と向かっては言えないことも,言い合ったりしますからね^^;)
「人の家の庭先」の比喩は助かりました。



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この記事へのコメント
NoTitle
自分は当然無罪主張でよいと思いますよ。
人の言う事ほど信用できないものはないから,有罪を示す客観的な証拠がない以上,被告人が認めていたって本当はやってない可能性はあるわけで,このケースなら弁護人は無罪主張すべきと思います。
逆に,客観的証拠からは明らかに罪を犯しているのに,被告人が不合理な否認をしている場合。現実には結構あるケースでしょうが,自分が弁護人になったとして苦しいのはこっちのケースかなと思います。

自分は,二回試験も終わり,昨日までエジプトに行ってきました。
二回試験発表後はタイに行く予定です。落ちてても。
2007/12/12(Wed) 00:36 | URL  | 論文初受験 #-[ 編集]
頭おかしいんじゃないの?
人を殺意をもって殺めていた真実の告白があったとき、罪を償うのが人の道ではないでしゅうか?
どんな高尚なお勉強をしているか知りませんが、そんなろくでもないことを勉強しているから、山口光母子殺害事件での無罪主張などをしているわけです。自白している犯人を、無罪でかばう奴がいるから、ずる賢い奴(ヤクザも含めて)がのさばる。常識ない弁護士など、いない方が世のためです。勉強出来ても、人間として最低のランクでしょう。そんな弁護士はいらない!無駄だ!
2007/12/12(Wed) 19:57 | URL  | 通りすがり #JalddpaA[ 編集]
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/12/12(Wed) 20:07 |   |  #[ 編集]
うちでもやりました
難しいですよね。
弁護人の仕事は一人の無辜も罰しない事にあるけれど、通りすがりさんのように一般の人や被害者の感情も考慮しなければならないし。
無実と無罪は別の事ですし、積極的に嘘をつかなければ無罪主張のままでも良いかと思います。
山口の件は、その無罪立証の仕方が反倫理的であるという事で、別次元の問題ですよね。
アメリカの判例の、凶悪犯の逃走方法を警察に教えることの是非とか、証拠隠避の是非も、とても頭が痛い問題棚、と思いました。
2007/12/12(Wed) 21:09 | URL  | さ。 #UA7HFH2c[ 編集]
NoTitle
上の方も書かれているように,山口の件は無罪主張が問題なのではなくて,そのやり方が問題なのではないでしょうか。
無罪主張が問題なんて言い出すのなら,刑事裁判の存在する意味って何なんでしょう。弁護人の役割って何なんでしょうか。

それと,問題にされたケースは,告白が「真実である」という前提はないですよね。
やはり,弁護人になったのならば無罪主張しかとるべき行動はないと思います。
一般の方が,通りすがりさんのように考えるのは,理解できなくはないですけどね。
2007/12/12(Wed) 21:48 | URL  | 論文初受験 #-[ 編集]
NoTitle
論文初受験さん,コメントありがとうございます。
二回試験終了,お疲れ様でした(まず大丈夫だろうと勝手に想像しています^^)。
授業で問題となった事例は,かなり抽象化された話で,当然,
「告白が真実である」という前提はない話です。
この場合,やはり無罪の弁護をするべきなのだと,私も思います。
本当に何が真実なのかは,神のみぞ知るわけですし。
客観的証拠から有罪が明らかなのに,不合理な否認をしている場合・・・・
難しいですね・・・。


通りすがりさん,コメントありがとうございます。
私は,人を殺した人には,生きる権利はないと思っています。
他者の人権を奪ったのと同じ限度で,その人は自分の人権も放棄しているといえるからです。
ただ,それを正確に判断できるのは,(存否はともかく)神のみです。
刑事裁判は,所詮,人が人を判断するのですから,限界があると思います。


秘密コメントくださった方,ありがとうございます。
職業として割り切るほかに,どうすればいいのでしょうか。
罪悪感は残って当然だと思います(仮に,その人がやったということが本当だとしたら^^;)。
私はそれも含めて,墓場まで持って行きたいと思います。


さ。さん,コメントありがとうございます。
そうですよね。弁護人には積極的真実義務はないですし,
一方で,犯人隠避や証拠隠滅に問われかねないことはできないし・・・。
弁護士としての職業倫理と,自分の,人間としての倫理観とが
一致すればラクなのでしょうが,中々そうもいきませんね。
2007/12/12(Wed) 22:30 | URL  | mico #-[ 編集]
誰でもやればいい
弁護士とやらは、一体何を守っているのでしょう。
自由やら、人権やら、正義やら、能書きたれてますが、
所詮は、殺人犯を世に生きながらえさせる存在になりません。
真実は、誰もわからない?
そうでしょうか?

少なくとも、人を殺した本人は知ってます。
誰かをかばっているかもしれない?
そうかもしれないでしょう。
でも、真実を本人は知っているはずです。

真実を知る、探る気持ちなくして、何が正義でしょうか?
単なる利益代理人だったら、誰でも弁護士になればいい。

机上の屁理屈をこねているから、
わけのわからない弁護士が出てくる。
いったい何を守っているのだろう?
職業倫理なんて屁理屈の前に、
人間としての信念を見せてほしい。

ないなら、誰でも弁護したらいい。
所詮たいした倫理感なんてないんだから。
2007/12/13(Thu) 11:10 | URL  | 通りすがり #JalddpaA[ 編集]
NoTitle
通りすがりさんは、micoさんがおっしゃってる場面を理解してらっしゃらないように思います。

当初から「俺がやったんだけど、証拠がないから否認したい」という場面ではないんですよ。
この場合、依頼を受けなければいいだけです。

そうではなくて、本当にやってないと思って依頼を受けたら、
途中で「実はやった。でも、証拠がないから否認でいきたい」と言われた場面です。
だからこそ、micoさんはじめ、みなさんが難しい問題だとおっしゃっているのです。

また、上の事案からは、どんな事件なのか明らかになっていません。
殺人事件とは限りませんよ。


2007/12/13(Thu) 14:29 | URL  | 通りすがり2 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/12/13(Thu) 21:08 |   |  #[ 編集]
議論になってしまってすいません
弁護人は、犯罪者を守るためにいるのではなくて、被疑者・被告人を守るためにいます。
判決が確定するまでは、誰もその人のことを「犯人だ」とはいえません。
また、無実でなくとも無罪の人もいます。
例えば、暴漢に襲われ、とっさに突き飛ばしたところ相手が倒れて死亡した場合、正当防衛として無罪になりますが、有実(こんな用語はないですけど)になります。
「自分はやった」
と被告人が言った場合、それがどのような状況で、どのような意味でやったというのかも明らかにならぬまま、弁護を打ち切ることが本当に社会のためでしょうか。
誰も自分の話をきちんと聞いてくれぬまま、有罪になって、日本ではほとんど死刑はないですから、いずれ社会に出てきて、被告人はその後の社会生活を営めるでしょうか。
(被告人が幸せになるという意味ではなく、周囲の迷惑にならないように、再犯をしないように、という意味です。)

小学生の男の子のたけるくんがが別の男の子のゆうじくんを殴ったとします。
たけるくんははじめ「ぼくはやっていない」と言います。
しかし最終的に「ぼくがなぐった」と認めました。
しかしそれはゆうじくんが、ようこさんにとても酷い悪口を言ったからだったのです。
先生に殴った顛末について聞かれれば、ようこさんの悪口の件まで到達するかもしれない。そうしたらようこさんの悪口を先生にも、それを聞いているクラスのみんなにも広めてしまうことになる。だから彼は黙っていたのです。

人が真実を黙っている時、それが常に悪いことを企んでいるからだと考えるのなら、そのほうがずっと人としての倫理に外れているように思います。

もちろん、悪いことを企んでいるのではないかと考えて追求する立場の人間も必要です。殴られたゆうじくんのお母さんにきちんと説明する人も必要です。
でもそれは弁護人ではなく、検察官であるというのが日本の法制度です。
弁護人は、本当にたけるくんは殴っていないのではないか、殴ったとしてものっぴきならない理由があったのではないかという事を常に考える事が仕事だと思うのです。
2007/12/13(Thu) 22:28 | URL  | さ。 #UA7HFH2c[ 編集]
NoTitle
通りすがりさん,その通りですね。
もちろん,やった本人は,誰よりも神よりもよくわかっているはずです。
そんなことを問題にしているのではありません。
弁護士にも色んな人がいますから,わかりませんが,
少なくとも私は,「殺人犯を世に生きながらえさせる存在」にはなりません。


通りすがり2さん,ありがとうございます。
私が抽象的に書きすぎたため,誤解を招いてしまったのかもしれません。
法曹倫理の授業でやるのは,やはり限界事例が多いですから,
考え始めると,本当に難しいです。


秘密コメント下さった方,ありがとうございます。
私は,「言わない」と決めたことを言わないでいることには,
少々の自信があります。
いざ死が近いとわかったときにどう感じるかは,死ぬかも,と思ったことが
あんまりないので(色んな意味で,全くないわけではないです)
わかりませんが^^;
裁判員制度は,私も未だに,「本当にやるの??」という感を否めません。
2007/12/13(Thu) 22:33 | URL  | mico #-[ 編集]
NoTitle
さ。さん,お気遣いいただいて,ありがとうございます。
例示,とてもわかりやすかったです。
私は30歳過ぎてから刑法を初めて勉強したので,
「一般国民」「通常の常識人」の感覚もよくわかります。
(刑法・刑訴法的な見方が当たり前になって,やや忘れている部分もありますが)
素朴な正義感と,制度的に守るべき正義は何なのかは,
必ずしも一致しませんから,難しいですね・・・。

2007/12/13(Thu) 22:41 | URL  | mico #-[ 編集]
到底理解できない存在
物事の本質は、限界事例を考える中から、見えてくることはよくあります。
そして、事例を限界事例において、どこまで一般化できるかを考えるからこそ、
意味のあることだと思います。
それは、受任しなければいいとか、小学生の事例とかの、
たわいない話であれば、笑って話すことも可能でしょう。
それが、いわゆる机上の空論だからです。

現実は、生々しくおきてます。そして、人は醜いです。
そんな世間の常識に欠ける人間によって、法律を使われる、世間が歪んでいくのです。

例えば、このことは、殺人犯で鮮明化します。
罪を犯したが、証拠がないから、無罪主張をする被告人を、
あなたは、守秘義務と受任精神から、無罪主張で弁護して、無罪となることに、
職業的倫理感を見出せますか?そんなことをしたいのですか?

私の答えは、NO!です。

そのような凶悪誹謗な事件でない限り、
責任は不明であり、司法の判断を待つべきであることは小学生でも理解できます。
しかし、単純殺人は別です。ましてや、受任後であっても、真実が分かっているのに、それでもかばう必要性は、一般人には理解できません。
当然、罪を認めて減刑を求めるのは理解できます。
証拠がないから、生きながらえたい、人の命を奪っておきながら、
自分の命がほしいなんて、都合のいい話に加担する弁護士なんて
無用な生き物です。
法曹界では有用かもしれませんが、
一般人には、到底理解できない存在であり、
一般人に説明できないものは、
無用なのです。
2007/12/14(Fri) 15:57 | URL  | 通りすがり #JalddpaA[ 編集]
NoTitle
人の家の庭先で言い争いをするようなことは、もうやめた方がいいのでは?
すでに指摘されているとおり、ケースの前提として、告白が真実かどうかは不明なんですよね。それなのに通りすがりさんはあくまでそこを無視して、告白が真実であることを前提の議論を繰り返してますね。
噛み合わないやりとりしても仕方ないですよ。
2007/12/14(Fri) 17:02 | URL  | 通りすがり三号 #-[ 編集]
NoTitle
通りすがりさん,
限界事例から本質が見えることがあること,わかります。
人が所詮,醜い存在であることも,知っています。
ただ,刑事弁護人は,犯罪者を「かばっている」のではありません。
そのように見えてしまうのは(私もそう見ていましたから)仕方ないことだと思いますが。
でも私は,この点につき,あなたを説得できるだけの経験も論理も持っていないのです,たぶん。
そこは,法曹を目指す者として,謝ります。ごめんなさい。


通りすがり三号さん,ありがとうございます。
正直言って,私は,顔の見えないところで議論することは好みませんので,
(面と向かっては言えないことも,言い合ったりしますからね^^;)
「人の家の庭先」の比喩は助かりました。

2007/12/14(Fri) 23:13 | URL  | mico #-[ 編集]
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