茨城県牛久市の弁護士小室光子の記録です
19歳―一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)19歳―一家四人惨殺犯の告白 (角川文庫)
(2004/08)
永瀬 隼介

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机の片付けをしたくなったり,
新しい本を読みたくなったりというのはよくある話で(^^;)

印象的だったのは,この犯人(今は死刑囚。もしかして執行されてるかも?)が
書いた手紙の中の,検察官が死刑を求刑したときの描写。

「その検事は一度も僕を取り調べたこともないのに,まるでたった今,
この場で殺人事件が起こって,それをすべて間近で見てきたかのような口ぶりで,
誇張を加えて話しました。」
「その担当検事は,ひとしきり勢いよくまくしたて終えると,着席する前に
両隣の検事達と目をあわせ,満足そうに薄ら笑いを浮かべたのが見てとれました。」
「お前ひとりの命ぐらい俺達の力でどうにでもできるんだよ,ざまあみろ,
とでもいうかのように得意満面の表情で僕を見ました」

この犯人のしたことは,一人の人間として素朴に考えれば,死刑に値すると思う。
だから,ここだけ取り出すと,
「自分のこと棚に上げて,何言ってんの,こいつ??」って思える。

でも,おそらく,公判担当検事が,この犯人を本当に憎いと思い,
死刑を求刑するにあたって高揚した雰囲気で論告を終え,その後で
何か達成感なり充実感のようなものを覚えたのは事実なんだろうなと思った。
薄ら笑いや,得意満面だったかどうかはともかくとして。

前にも書いたかもしれないけど,検察庁の見学に行ったときに,ある検事が,
1度(迷いながらも)死刑を求刑したが判決を聞く前に異動になり,判決が出たとき
検察事務官から「おめでとうございます,検事!あの事件,死刑になりましたよ!」と
連絡を受け,それ以来,1度も死刑を求刑したことはないと話しておられた。
死刑,つまり,人一人殺すのに,「おめでとう」なのか,ということ。

検察官は,有罪の立証責任を負っているから・・・それが仕事だから,
証拠関係からうまく論理立てて立証ができて,有罪という結論を出し,
量刑についてもいろんな事情を考慮して,死刑相当だ,これに一点の迷いもない,
って思ったら,公判はその仕上げの場になるわけだよね。
そしたら,その公判を無事に終えたときには,
(通常,人が何かをやりとげたときと同様に)達成感があるのだと思う。

でも,やっぱり,被告人も,「人」なんだよね。
私は,何度も書いていると思うけど,罪を犯した人間は,それと同じ限度で,
自分の人権も放棄したものとみなしていいと思っている。

ただ,それを裁くことができるのは,本当は,神だけであって,人がそれを
仕事として行うとき,そこにあるべき「畏れ」を忘れてはいけないと思う。


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